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日々過ごすブログ

とりあえず文章を書いてみよう、というブログですね

「犬から見た世界」 相手の体で考えること

 

犬から見た世界―その目で耳で鼻で感じていること

 

著者、アレクサンドラ・ホロウィッツの書くこの本のテーマは、つまり「犬であるとはどういうことか?」ということだ。

 

最初に頭が見えてくる。向こうの丘のてっぺんによだれを垂らした鼻づら(マズル)が現れる。見えるのは頭とマズルだけだ。残りの部分はまだ見えてこない。一本の足が音を立てて視野に入ってくる。そのあと、第二、第三、そして第四の足がゆっくりと続き、六五キロの体を運んでくる。

 

人間は長い間犬と共に生活を送ってきた。その分、犬に対して色々なことを言う。

例えば、犬は本能的に上下関係に組み込まれるのを好む、とかウチのリトリーバーは嬉しいと笑い悲しいとしょんぼりする、とか、そんなことである。

でも、僕達は皆、本当は心の奥底では薄々感づいていることがあって、それは、犬と人間は全く別の生き物なのだから、犬が本当に何を考えているのかなんてことは知りようが無く、僕達が犬に対して思っていることは、結局のところ一方的な価値観の押しつけに過ぎないのだということだ。

 

まず第一に忘れなくてはならないことは、擬人化である。わたしたちは犬の行動を人間の偏見に染まった視点から見、話し、想像する。そしてこれらの毛に覆われた動物に自分たちの情動と考えを押しつけるのだ。わたしたちは言う――もちろん犬は愛するし、欲望する。もちろん彼らは夢を見るし、考える。わたしたちのことがわかるし、言うことも理解できる。退屈するし、やきもちをやくし、落ち込むこともある――。朝家を出るあなたに向かって悲しげに見つめる犬を見て、ひとりぼっちにされて落ち込んでいると考える以上に、自然な説明がほかにあるだろうか?

 

そこで僕達が少しでも犬とわかりあうためにすべきことは何なのかというと、「犬であるとはどういうことか?」について真剣に考えることだ。

そもそも、犬とはどんな動物なのか?狼から派生した種であることはわかるが、では狼と犬がどの点で似ていて、どのように違うのか。理解している人がどのくらいいるだろう。

犬にとって視覚よりも重要な役割を果たしているのが嗅覚であることには、きっと疑いの余地は無いだろう。しかしそれが具体的にどういう感覚であるか、隅々まで想像することができるだろうか?

 

このような嗅覚をもつということは、どんなふうなのだろうか?わたしたちの視覚世界のあらゆる細かな部分が、匂いと組み合わさっているとしたら?薔薇の花びらはどれも違った香りがする。虫が訪れて、遠くの花粉の足跡をつけていったかもしれない。たった一本の茎が、だれが、そしていつ、それを持ったかという記録を保持しているというのは、いったいどんな感じだろうか。ちぎられた葉には、おびただしい化学物質が残されている。葉にくらべて水分をふっくらと含んだ花びらのにくは、さらに違った匂いを乗せている。葉の表面のひだには匂いがある。棘に結んだ露の玉にも。そしてどの細部にも「時間」の情報が含まれる。わたしたちは花びらが枯れて茶色くなるのを見ることができるけれども、犬はこの枯れゆく老化のプロセスを嗅ぐことができる。視覚世界の細部を分刻みで嗅ぐというのはどういう感じのものだろうか。つまり犬にとっての薔薇とは、そういうことなのかもしれない。

 

無論、この思考そのものが、ある種の独りよがり、押しつけである。それが悪いということではない。大事なのは、犬と良い関係を築く為に、適切な想像をすること。僕達がすべきなのは、科学的な立場から犬を理解して、その知識を持って、犬の立場で想像することなのだ。

犬達の方は、人間を彼らなりの解釈で理解しているだろう。それが彼らの生活に直結しているからだ。犬は「人間であるとはどういうことか?」などといちいち問わないかもしれないが、かわりにその卓越した集中力と好奇心をもって、僕達をじっと観察し、僕達とのつきあいかたを作り上げていくのだ。異種族との コミュニケーションにかけては、僕達人間よりも、彼らの方に軍配が上がるかもしれない。

しかし、犬達を遙かに上回る巨大な群れを作って生きている人間に、同じことができないはずはない。大切なことは、犬を厳しく躾ることや、欲しがるものをなんでも与えてやることではない。それは対処療法に過ぎないし、本質的なコミュニケーションではない。繰り返しになるが、犬についてできるだけ正確な理解を持ち、その上でじっくりと観察し、相手の立場を想像することである。

 

これは何も、犬との関係に限ったことではないかもしれない。誰でも普段、何かしら他者と接して生きているだろう。彼らは同じ種族だ。だから自分と同じように感じて、同じように考えて行動しているはずだ・・・などと本気で思っている人は、恐らく人間関係にトラブルを抱えてしまうのではないだろうか。*1

以前、非常に目が悪い友人と話をしていたときに、僕が日頃、綺麗だなと思っていた遠くの山が、なにやらぼんやりとした緑色のものとしてしか見えていないと知って、驚愕したことがある。眼鏡をかければ、彼も僕と同じくらいに見ることができるのだと思うが、それは常にレンズを一枚隔てた景色なのであり、全く同じに見えているかは疑問である。

体のつくりや育った環境によって、驚くほど多様な考え方をするのが人間というものだ。僕達は相手を自分とは違った個人として認め、その人のすることを無意識に意識的に観察して、つきあいかたを模索しながら生活している。だが、犬を相手にするときはどうだろうか?

 

この本は、犬の飼い方を示した本ではない。この本を読んだからといって、あなたの犬達とこれまでより仲良くできるとは限らない。あなたの家に住む犬が、あなたのいない間に家中のものを引き裂いて回る趣味を持っていたとしても、それ止めさせることもできないだろう。多少は、その手のアドバイスやアイディアについても書かれているけれど、あなたの隣にいる犬に同じ手が有効なのかどうかはわからない。

ただこの本を読むことで、犬とい動物と僕達がどう向き合っていくべきか、ということを考え直すきっかけにはなるはずだ。この本は、誰かとコミュニケートするときには、相手の視点に立つのが効果的だ、ということを、溢れんばかりの犬達への愛情と情熱を持って綴るものである。確実に、あなたの犬への接し方を変える一冊だ。あなたは、犬のINSIDE(内側)に入って行けるだろうか?

 

それでは、あなたの犬のところへ行き、観察してみよう。彼の環世界を想像し――そして彼にあなた自身の環世界を変えさせるのだ。

 

 

 

「犬から見た世界」より引用。著者アレクサンドラ・ホロウィッツ。訳者竹内和世。著者の犬に対する親愛と好奇心を感じさせる、雰囲気のいい訳だと思う。

*1:もっとも、考えすぎるのも良くないのかも知れない。相手はただなんとなく、それをしているに過ぎないのかもしれない。そこは、犬も人間も同じだろう